タカラトミーアーツの前身のユージンという会社が1986年東日本橋に設立し、ガチャガチャビジネスを展開を開始するお話です。
ガチャガチャ・ガチャポンラボ所長ののオノーちゃん( @GachaOnoo )です。
街中にある一体型のガチャガチャのマシンはいつからあるか知ってる?
ユージンは、代理店にマシンを販売するのでなく社員がオペレーターとなり、マシンを設置していくスタイルでスタートをきることになるのです。
このマシンは、その当時では珍しい電動タイプ。当たるともう一度できるガチャガチャのマシンのタイプででした、しかし、時代もあって駄菓子屋等の小売店舗の多くは軒先のコンセントがなかったりと苦労し、マシン設置台数を伸ばすまでに至らなかったです。
残念!!!
電動マシンは、厳しいとういうことにりなり、通常アナログマシンの方が軒先ガチャガチャビジネスはよいのではという結論になりました。
赤いガチャマシンを白いタイプにしユージンのガチャブランドとして販売します、既にこの初期のマシンは全国各地に設置されていました。
しかし、残念ながら白いタイプのガチャマシンはあまり出荷されずに日の目をみるに至らなかったのです。カタログにある赤タイプのガチャマシンはトミーのロゴが入っていて珍しいタイプです。ガチャマシン本体は今野産業社製を利用し頭部のみを制作しユージン仕様にして販売していました。
下記写真は、ユージンが夢工場というゲームセンターを3店舗運営しており、アトレの大井町店の設置されていたユージンガチャマシンです。
忍空ガチャ商品が懐かしい、ああ、懐かしい!!
スリムボーイが誕生で大きくガチャガチャ業界を変えていく
1995年 11月にリリースされたこのスリムボーイと名付けられたマシーンが現在の日本のガチャガチャのカルチャーを大きく変えることになる。
当時のガチャガチャのマシンは、オペレーターのメンテナンス集金が大変で、100円機や200円機と別々のガチャマシンがありありました。
お金を入れるメックを交換しなければならず、またお金の集金も機械をばらさなけばいけませんでした。1995年頃からオタクというカルチャ―が、日本に浸透していく中、ガチャガチャ商品も大人向けに企画開発の必要性ができてきました。
そして今までのガチャガチャのマシンではない新しいデザインで、新たな設置場所を求めるは自然の流れでした。その中この一体型のガチャガチャマシン、スリムボーイが発売されるのです。
んじゃまた!!!