2月17日が、ガチャの日であることは知っていいますか?1965年にアメリカから日本に紹介されたのをきっかけに2025年2月17日に60年間、子供から大人まで購入するインフラビジネスへと拡大しました。オノーちゃんもガチャガチャビジネスを生業にしてガチャガチャビジネス歴30年を超えました。
ガチャガチャ・ガチャポンラボ所長のオノーちゃん( @GachaOnoo )です。
ガチャガチャの原点 パンアメリカン貿易
ガチャガチャビジネスは重田哲夫氏が台東区入谷にパンアメリカン貿易を立ち上げることからはじまります。パンアメリカン貿易を設立する前、重田氏は、中華航空の通信会社に勤務していて、台湾に飛行機輸送を行う通信兵でした。フィリピンにも住んでいました。その後パンアメリカン貿易を1963年に設立します。設立したときのメンバーは重田氏、小森氏、中島氏の3名で軍隊用のシャベルを輸出していました。ある時、アメリカのプエルトリコ
のペニイキング社長LOハードマン氏がガチャガチャの中身をを買い付けにきていました。
パンアメリカン貿易からアメリカにガチャガチャの中身が輸出されていたのです。この時代フォルツとういうアメリカのガチャガチャベンダーが既にありこちらの商品買い付けにLOハードマンは日本にきていたようです。
ガチャガチャビジネスを紹介された重田氏
ガチャガチャビジネスを重田氏はLOハードマンから紹介されます、日本に導入する前に1964年浅草仲見世でロケテストを開始します。マシンはアメリカのノースウエスタン製「Big Boy」 1ドル360円時代で1台35ドル、12600円もする高価なマシンでした。ガチャガチャ中身は世界のおもちゃを集めよう!!!というキャッチフレーズで子供達の心をわしづかみにし、ガチャガチャビジネスを本格的に立ち上げることになります。
1965年2月17日にペニイ商会が設立、日本初のガチャガチャ専門オペーレターの誕生です。ガチャガチャビジネスの拡大に繋がったのが朝日新聞が発行していた「アサヒグラフ1966年1月28日号」にガチャガチャビジネスが子供達に大ヒットしているという記事でした。戦後から20年を経て子供達は娯楽に飢え、前年には鉄腕アトムがテレビ放映されていました。この記事が出た頃にガチャガチャ会社が次々と設立していきます、1967年にキデイ 東京ビスタ 林商会 日米自販が、そして林商会がガチャガチャマシンの国産化に成功すると同時に東京ビスタも国産2号機をを発売します。ガチャガチャビジネスを立ち上げた「パンアメリカン貿易」や「ペニイ商会」に働いていた人達がみんな親戚、友人なのが今のガチャガチャ業界と変わらないので興味深いです。
1965年に本格的に導入されたガチャガチャビジネスは、LOハードマンから奇跡的に紹介され日本のカルチャーとして発展していくのです。
日本のアメリカ輸出も価格が合わなくなり生産の拠点が香港に移行されます。LOハードマンもこの時期に離婚し中国女性と再婚、香港へ移住することとなります。この時期からLOハードマンは忽然とガチャガチャビジネス業界紙からも見かけなくなります。LOハードマンのガチャガチャビジネスについてはガチャガチャが日本に紹介されるまでの功績を読んでみてください。
ガチャガチャマシン 「スリムボーイ」30周年
日本のガチャガチャビジネス60周年ですが、ガチャガチャビジネスに貢献したユージンが開発したガチャガチャマシン「スリムボーイ」が30周年をむかえます!
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
ガチャガチャの先駆者の方々のおかげでガチャガチャビジネスは発展してきました。
ガチャガチャビジネスが60周年をむかえガチャガチャビジネスの礎を作った先駆者の方達に感謝し、過去の歴史から学びガチャガチャの未来を作っていければガチャガチャは進化していくとオノーちゃんは思います。
んじゃまた!!!