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1995年にスリムボーイというガチャマシンが株式会社ユージンで販売されます。このマシン無くして大人ガチャ商品の進化はありませんでした。
スリムボーイを開発したユージンという会社はどんな会社だったんでしょうか?
ガチャガチャ・ガチャポンラボ所長のオノーちゃん( @GachaOnoo )です。
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世界市場の激変の中に設立されたYUJIN
海外販売で業績を伸ばしてきた玩具会社トミーが世界市場の激変に合い成長の終焉を
むかえる時代に設立されたのが株式会社ユージンです。
1985年のプラザ合意により日本は固定相場から変動相場に円高が進み玩具販売を海外への輸出業で財をなしていたトミーは大打撃を受けます。
当時リストラという言葉は無く人員を再構築する為に子会社を設立
人員を削減しなくてはならなくなり当時リストラという言葉もなく人員の整理をしなけばならなくなり、そんな中グループ子会社を設立することで人員をリストラせず再構築を図りました。
YUJIN、ユージンのユーは遊ぶという意味 「遊ぶ人」
ユーメイト ユーエース 子会社はすべてユーがついていました。
YUJIN(ユージン)のユーは遊ぶという意味です。1986年に東日本橋に設立され、トミー本社と商品がかぶらない小物トイをメインにビジネスをしていく合意のもとスタートします。
小物トイのメイン商品はフックトイと言われるキオスクとかに掛けられている小物玩具と玩具菓子とガチャガチャです。玩具菓子を主軸に商品開発がなされその商品をカプセルに入れても販売する二毛作作戦です。企画商品を小物玩具と玩具菓子とガチャガチャで販売をしてました。
「ビッグマシン」は自社開発ではありませんが、ガチャガチャを設置して商品を入れるオペレーター業務も模索しガチャガチャで食べていくにはどうすればよいかと考えていました。
「ビッグマシン」は、電源が必要な為駄菓子屋前にはなかなか設置できずに苦労しました。
お金を入れてルーレットがまわり当たるともう一回できるしくみでした。
東日本橋のユージンはビジネスチャンスの恵まれず、事務所をたたみ1988年2月9日トミーのお膝もと立石に移転し新生ユージンンとして再出発します。
つづく
んじゃまた!!!
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