ガチャガチャの原点はどこにあるのか、日本でガチャガチャがいつから始まったのか、
知りたくりません?
日本ガチャガチャ協会のオノーちゃん(@GachaOnoo)です。
ガチャガチャはアメリカが原点だった
カプセルトイ、通称ガチャガチャはアメリカからやってきたって知ってました?
日本のガチャガチャのルーツはアメリカの自動販売機にあるんですよ。
その自動販売機は、「サイレントセールスマン」と呼ばれていました。
アメリカでは、自動販売機は1880年代から使用されていた。その自自動販売機の中身はお菓子だった。初期の頃、ミント、鉛筆、香水、そしてカミソリが一般的だった。
上の写真のように、アメリカの自動販売機は一般的に木や金属で作られ、駅のホームに設置されていました。NYの駅のプラットホームにも設置されていました。
そして自動販売機を「サイレントセールスマン 」として知られるようになりました。
なぜかというと、駅のプラットホームをはじめ、電気店、雑貨ショップ 居酒屋 一日24時間休憩なしで働くという意味をこめて皆そう呼んだらしいです。ネーミングセンスもなかなかと思いません?
さて、1900年代初頭の自動販売機は華やかで複雑だったらしいです。上の写真が示すように、金属製の機械には、足の爪があり、レバーを引いて商品を搬出します。
ADAMS社製のマシンは、ガラスの中にガムを入れて販売していたましたが、マシンのメカニズムが複雑だったため故障が非常に多かったようです。
自動販売機の歴史、それはガチャガチャの歴史につながっていた!
まさに、自動販売機のはじまりがガチャガチャの始まりと言えそうです。以下がアメリカから始まったガチャガチャの歴史の変遷です。
1910年 | アメリカでトーマス・アダムスのピーナッツマシンが登場 |
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1930年代 | アメリカでガチャガチャ機がブームに |
1950年代 | ヨーロッパで普及が始まる |
終戦~1960年頃 | ガチャガチャ用のおもちゃの製造は日本が中心に |
1962年頃 | 台湾や香港がおもちゃの製造の中心となる。 |
日本のガチャガチャの原点はペニイキング社のハードマン氏
1960年代前半、アメリカのペニイキング社社長のハードマン氏が、パンアメリカン貿易商会社長の重田哲夫氏にガチャガチャを紹介したことがガチャガチャの原点。
日本のガチャガチャの原点を考える上で、LOハードマン氏がキーマンにになります。
ハードマン氏はどういう人物だったのでしょうか?下の記事に、ハードマン氏についての記事があります。
PENNY KING Co.,
LO Hardman, of Pittsburgh, Pa., are manufacturers and operators, and have been associated with the industry for six years. They have three employes, and feature bulk vendors. Mr. Hardman started in the business on a very small scale, and by reinvesting the profits, was able to build up a very nice business. He has featured compartment venders, starting with the Four-In-One Rotary vender that was manufactured by Earl H. Lohmuller, of Riverside, Illinois. This machine is now being manufactured by another company. Penny King now manufactures two and three compartment machines, operating many themselves. They operate about 900 bulk venders in all
(International Arcade Museum)
以下が、日本語訳ですが、とてもガチャガチャのルーツを知る上では貴重な記事になっています。
ペンシルバニア州ピッツバーグのLOハードマンは製造業者および運営業者であり、6年間にわたって業界に携わっています。 彼らには3人の従業員がおり、バルクベンダーがいます。 ハードマン氏は非常に小さな規模で事業を開始し、利益を再投資することにより、非常に素晴らしい事業を構築することができました。 彼は、イリノイ州リバーサイドのアール・H・ロミュラーによって製造されたフォー・イン・ワン・ロータリー・ベンダーから始まるコンパートメント・ベンダーを特集しました。 このマシンは現在、別の会社によって製造されています。 ペニーキングは現在、2つまたは3つのコンパートメントマシンを製造しており、多くのマシンを操作しています。 彼らは全部で約900のバルクベンダーを運営しています。
※バルクベンダーとは、現在のガチャガチャのマシンを取り扱う代理店オペレーターのことです。
ハードマン氏が重田氏にガチャガチャを紹介しなかったら、今の日本のガチャガチャの風景はなかったかもしれません。
のちに、1963年にOAK社のBIG BOY機を輸入しました。中身は全て香港製のおもちゃでした。その後1964年にテストが行われたそうです。
ガチャガチャの筐体を日本に初めて導入したのが1965年2月17日。2月17日はガチャの日
日本のガチャガチャの歴史が始まったのは、1965年。
1965年2月17日 | ハードマンの勧めで重田哲夫氏、ペニイ商会設立 |
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1965年 | おもちゃのバイヤーとして日本に来ていたスタンレー・シャーレットが広瀬久照氏(後の社長)に「カプセル自動販売機を日本に広めないか?」と声をかけ、共同で日商貿易後にバリューマーチャンダイズを設立。浅草に1号機設置。 |
1966年 | 『アサヒグラフ』誌(現在、休刊)ガチャガチャが取り上げられる |
アメリカの当時のビルボード誌を読むと、ハードマン氏が自動販売機からバルクベンディングというハンドルを回すガチャガチャの原点に携わっていたようです。その商品はチャーム。それを日本で生産しアメリカで販売していたようですね。
ここで面白いのが、1930年代にアメリカではチャームブームが起きていたらしいのです!!このチャームのガチャガチャは貴重なガチャガチャです。ハードマン氏とチャームを次回までに調査しなければ!!!!
んじゃまた!!!