ガチャガチャを日本に拡大させた功労者であるガチャガチャの王様の今野明久さん。今野さんが2016年3月26日に永眠され、もう3年の月日が経ちました。
ガチャガチャ・ガチャポンラボ所長のオノーちゃん( @GachaOnoo )です。
今野産業のガチャガチャの歴史を振り返る
今野産業社は、墨田区の曳舟にあります。昭和44年に設立されました。今野明久さんもペニイ商会の前身パンアメリカン貿易で働いていましたが、すぐに独立し日本のガチャガチャのメーカーとしてビジネスを開始します。
目利きがある今野さんは、お土産の根付けを製造するための木型職人達にガチャガチャ向けの戦車や戦闘機 そしてキャラクター等の原型を依頼します。そして精巧なミニチュアフィギュアを販売します。
香港からの引き物から日本のオリジナルのガチャガチャへガチャガチャの商品化を積極的に進めていくことで、日本のガチャの礎を築いていったのです。
ガチャガチャ業界で日本のガチャガチャの礎を築いた今野産業
オノーちゃんは、今野社長にどれほどお世話になったか、忘れもしません!ユージンからタカラトミーアーツに変わっても、ガチャガチャを生業として現在も数多くのガチャガチャを世に誕生できるのも、まさに今野社長のおかげです。
ユージンはお金がない時で、ガチャガチャ製品の金型代を出していただいたり、完全フル彩色フィギュアや陶器製品など、新しい新規アイテム制作に手伝ってくださり、本当にありがとうございました。
ガチャガチャの商品を常に愛し亡くなるまで新しい商品を考えておりました。
オリジナルのガチャガチャ商品でバイキン軍団やロボット軍団等の名作を作り続けました。ガチャガチャ商品でありながら、ブレない心を商品に注ぎ込む力は今でも本当に真似出来ません。
ガチャガチャが日本に入ってきたのが、1965年2月17日
東京オリンピックが開催される2020年。来年の2月17日でガチャガチャが日本に入ってきて55年目を迎えます。
「今後どうガチャガチャは、進化していくのか?」
55年目を迎えてもガチャガチャのハンドルを回して、何がカプセルから出てくるかわからないワクワクドキドキ感は変わらないでししょう。
いつもワクワクドキドキのガチャガチャ商品を今野さんがここまで広げていただき、ガチャビジネスのレールを作ってくださいました。
今野明久さんは、ガチャガチャいうブランドを浸透させた功労者です。
ガチャガチャを日本に導入したハードマンの写真が社長室に飾られていて、その前でオノーちゃんは今野明久さんから、ガチャガチャ講義を受けておりました。今となってはとても貴重な体験で今でも思い出します。
今野明久さんありがとうございます。
んじゃまた!!!