今回は55年の間に繰り広げられた世代別ガチャ歴史のお話です。
ガチャガチャ・ガチャポンラボ所長のオノーちゃん( @GachaOnoo )です。
ガチャガチャの歴史は6っの世代の分かれます。
日本のガチャガチャが拡大していく過程においてロケーションの陣地とりが繰り広げられておりました。まるでガチャガチャの仁義なき戦いです。
ガチャガチャの歴史を追っている人はそんないません。日曜研究家に出稿していた杉村さんの貴重なガチャガチャの歴史、ガチャガチャのコレクターでコスモス愛が溢れるワッキー貝山さんぐらいしか思い当たりません。
最近若手で昭和ガチャガチャコレクターでもありものまね芸人の「レッツゴーよしまさ」さんぐらいでしょうか。なのでガチャガチャのビジネスをやってきた重鎮の方々の記憶だけが頼りです。ガチャの歴史を記憶に残したいと思って書いてはおりますが間違い等あれば教えていただけると幸いです。
ガチャガチャの歴史はターニングポイントは6つの世代に分かれていると考えています。その時代時代でのガチャビジネスの進化があった年代があります。
ガチャガチャの歴史 6つのターニングポイント
第一世代:1965年~(日本でのガチャビジネスの創世記)
第二世代:1970年~(カオスの時代)●ロケーション乱立期
第三世代:1977年(大手玩具メーカーバンダイの参入とコスモスの参入●無版権の駆逐期
第四世代:1995年~(大人もターゲットの時代へ)●新ガチャガチャのマシン展開
第五世代:2012年~(トイからカルチャー、そしてデザインの時代へ)
第六世代:2018年~(日本から世界へそして新しいテクノロジーの時代へ)
6世代を何回かに分けてお話していきます。
まずはガチャガチャとは何なのかというところからのおさらいになります。
ガチャガチャとは何なのか?
アメリカで生まれたガチャガチャは、日本に紹介されてから半世紀が過ぎましたが、なぜか、今も生き残っています。この半世紀に及ぶガチャガチャの歴史は今日までほとんど紹介されていません。それでもガチャガチャのことを知らない人はまずいないでしょう?
ガチャガチャは、1965年から日本に設置されていきます。商品は海外のミニチュア玩具です。海外商品の珍しさに子供達が10円を握りしめてハンドルを回しました。この光景は今も昔も変わりません。 今では大人もガチャガチャを回すようになりました、海外にもガチャガチャ文化はありますが子供がメインです。ガチャガチャの中身は、日本の流行に合わせた商品が多くその時代に何が流行っていたかがわかります。ガチャガチャは昔からいろんな場所に置かれているメディアであると自分は考えています。普通自動販売機は選んで商品を購入することができます。ガチャガチャは自分が欲しいと思ってもハンドルを回して商品が出てくるまでわかりません、「ワクワクどきどきです」 これこそがガチャに魅了されてしまう要素です。何回も回さずにはいられなくなる魔法のマシンなのです。
子供が初めて自分のおこづかいでやるギャンブルですし、なかなか自分の思った通りにならない人生をガチャガチャで学ぶのです。思った通りいかないから面白いのです。
ガチャガチャ第一世代:1965年~(日本でのガチャビジネスの創世記)
第一世代はガチャガチャの創世記です、まだガチャガチャという言葉もなく、バルクベンディングという自動販売機の名前で紹介されていた時代です。バルクベンディングに関しては以前書いた章をみていただけたらと思います。
南里貿易からパンアメリカン貿易が創立されパンアメリカン貿易からペニイ商会が1965年2月17日に設立
ペニイ商会が1965年2月17日に創立されガチャビジネス元年を迎えるますがその前にパンアメリカン貿易という商社が存在します、ここの貿易商社で日本で製造したものを海外へ輸出をしていました。重田哲夫さんは軍の通信部隊におり英語が堪能だったかと思われ最初南里貿易に入社しそして独立してパンアメリカン貿易を立ち上げます。この時出会うのがO氏 I氏です。また、同時期に今野産業を立ち上げることになる今野明久氏とキデイのN氏もパンアメリカン貿易に少しだけ在籍していたようです。今野産業を立上げた当初はガチャ商品を製造していたのではなくお土産商材を取り扱っておりその後ガチャビジネスに本格参入していきます。
この図は今野明久さんからガチャがどのような経緯の流れになって創業された時に直筆で描いていただいたものを私が加筆したものです。年代があっているかは、若干怪しいところもありますが詳しい方いらっしゃたら是非教えてください。
1965年にペニイ商会が創立するまでにガチャビジネスは既にロケテストがおこなわれていました。南里貿易から独立した重田哲夫氏がパンアメリカン貿易を創設。パンアメリカン貿易が最初にガチャの1964年にロケテストを行います。
日本へのガチャ導入にはLOハードマン氏が貢献。
日商貿易の広瀬氏もまたガチャビジネスに可能性を感じて同時期にガチャビジネスを始めていくのです。日商貿易は日米自販と提携して海外からガチャマシンを輸入します。日商貿易はのちのバリューマーチャンダイジング。日米自販はのちのアップルで現ハピネットです。
ガチャガチャビジネス 関東VS関西
関東では、ペニイ商会、日商貿易、日米自販がガチャビジネスを立上げていく中、関西でもガチャビジネスを拡大する会社が現れます。林商会は海外マシンの故障が多いので国産でのガチャマシン製造に成功し関西のガチャ設置を広げていきます。関西でガチャガチャが拡大している情報がペニイ商会の重田龍三氏にはいります。関西勢力に対抗すべく1970年西日本ペニイを設立するのです。
次回、第二世代:1970年~(カオスの時代)●ロケーション乱立期
んじゃまた!!