ガチャガチャ・ガチャの歴史

ガチャガチャビジネスを日本に導入したLOハードマンの親族からの嬉しいお便り

LOハードマンが日本のガチャガチャ文化の発展に貢献したことは、毎回お話させていただいています。しかし、彼の個人的な背景や、香港での活動については、まだ知られていないことが多いです。前回の「渋谷ガチャガチャナイト」でもLOハードマンの親族のから連絡こないかと最後にお話をさせていただいきましたらなんと、先日、オノーちゃんのサイトを見てくれてメールで親族のフランク・パリシさんから感謝のメールがきました。しかもなんと、フランクリパリシさんの家系はガチャガチャビジネスを今でも現役で展開していました。

ガチャガチャ・ガチャポンラボ所長のオノーちゃん( @GachaOnoo )です。

LOハードマンの甥、フランク・パリシ氏

パリシさんの会社があるアメリカロングアイランドは、1800年代後半からチューイングガム、ナッツ、ノベルティを販売してきたガチャガチャマシンの製造と供給の中心地でした。アメリカでは今でもガムボールが販売の主流で、バルクベンディング、量り売りビジネスと言われています。グラムで購入してマシンに入れて販売します。アメリカのバルクベンディング市場規模は約5億ドル市場、日本円で750億円です。これかガムボール他、玩具を含むとなると日本のガチャガチャ市場がカプセルトイだけで900億円を超えていることがいかに凄いことかと思います。

LOハードマンが世界にガチャガチャビジネスを拡大したいという願いで香港に製造の拠点を移したことが日本のガチャガチャビジネスを起点に世界に広がっていくのです。

 

 

 

ハードマン氏日本ガチャガチャビジネスの貢献者  LOハードマン

LOハードマンの親族フランクパリシさんからの嬉しいメール

フランクパリシからメールをいただきました、彼はLOハードマンからすると甥にあたるようです。お父さんがガチャガチャビジネスをしていて、ガチャガチャの先駆者のサミュエルエピーの会社を購入しました。このサミュエルエピーが最初にカプセルを開発した人です。1936年にガムと封入するカプセル製のチャームを販売しましたが成功はしませんでした。アメリカ最大のガチャガチャオペレーターロジャーフォルツもパートナーでした。パリシさんはガチャガチャの英才教育を受けて育ち現在ガチャガチャビジネスをしています。ただ、アメリカでは売れ筋がガムボールなのでガムやキャンディをメインで販売しているとのことでした。やはりアメリカのカプセルトイ市場参入はななか厳しいです。

フランクパリシさんからメールです。

「先日、バルク販売に関する記事を拝見いたしました。記事に登場するLO・ハードマンは、私の家族の一員であり、またロジャー・フォルツは、祖父のように親しくさせていただいた人物です。記事の内容に感銘を受け、私からもLO・ハードマンに関する情報を提供させていただきたく、筆を執りました。

LO・ハードマンのような、日本のガチャガチャ文化の礎を築いた人物について、より多くの情報が共有されることは、非常に有意義なことだと思います。LO・ハードマンの偉大な功績を、より多くの方々に知っていただくために、私にできることがあれば、全力で協力させていただきます。」

LO・ハードマンの事業拡大と成功

1970年代以降のLOハードマンに関する記事がビルボード誌に見かけ無くなったのはハードマンがアメリカから製造の拠点を香港に移したからです。何故香港なのか?アメリカ本土のガチャガチャ製造メーカーからは、なんでアメリカ国内で生産をしないのかというクレームがありました。ハードマンはガチャガチャビジネスの拡大をはかる為にはアメリカ国内だけではなく世界的に展開する為に香港をガチャガチャの製造拠点に選びました。LOハードマンはアメリカ国内だけでなく世界い向けてガチャガチャの発信を考えていたのです。

香港工場の設立

LOハードマン香港にて

 

1970年代、LO・ハードマンは香港に大規模な工場を開設し、事業を大きく拡大しました。この香港工場は、当時世界最大規模の玩具工場であったとのことです。この工場開設が、LO・ハードマンが伝説的な存在になった大きな要因だったとのことです。

事業規模の拡大

香港に加え、アメリカ、プエルトリコにも大規模な事業展開を行っていました。プエルトリコでは、1万台ものガムボールマシンを所有・運営していたとのことです。 香港でも主要なルートを所有していました。香港で製造したガチャガチャ商品をアメリカや日本に輸出していたのです。この香港製造がコストを下げる為に中国製造になり現在のガチャガチャ製造の拠点になっているもLOハードマンの功績である考えられます。

ペニーキングの由来

ペニーキング

「ペニーキング」という社名は、LO・ハードマンが「ペニーキング」というマシン会社を   買収したことに由来します。LOハードマンの支援を受けて1965年2月27日に設立されたのが「ペニイ商会」です。現在のペニイになります。

ウィリー・ハルター氏の貢献

ドイツ人のウィリー・ハルターは、LO・ハードマンの工場長であり、彼の成功に大きく貢献しました。 ウィリー・ハルターは、ドイツのボーイ射出成形機に関する知識を持ち、LO・ハードマンの工場設立に貢献した人物です。

プエルトリコの工場

アメリカ、プエルトリコにもハードフィールド工場という工場を所有していました。

 エッピーチャームカンパニー

LO・ハードマンの香港工場ができる前は、エッピーチャームカンパニーが最大の会社でした。これらの情報は、LO・ハードマンが世界規模で事業を展開し、玩具業界に大きな影響を与えた人物であることは間違いありません。特に、香港工場の規模やプエルトリコでの事業展開は、彼の卓越したビジネスセンスを物語っています。
LO・ハードマンの功績は、日本のガチャガチャ文化だけでなく、世界の玩具業界においても重要な意味を持っています。彼の事業拡大と成功の背景には、ウィリー・ハルターのような有能な人材の存在も大きく影響していたことがわかります。

 LOハードマンの埋葬場所と晩年

LO・ハードマンは、晩年を香港で過ごし、その地に埋葬されていることがわかりました。彼は、クイニーという中国人の女性と結婚し、共に生活を送っていたそうです。LOハードマンの工場は、香港三坡港の太洋街23番地の建物全体を占めるほど大規模なものでした。また、住居は、香港のシェラトンホテルのすぐ裏手に位置する、中道のファー・イースト・マンションにありました。

LOハードマンの個人的な背景や、香港での活動については、まだ十分に知られていない部分が多くフランクパリシさんのおかげで有力な情報を得ることができました。LOハードマンのような、日本のガチャガチャ文化の礎を築いた人物について、より多くの情報が共有されることは、ガチャガチャビジネスを広めていく上でとても大切なことだと考えています。

LOハードマンの写真

LOハードマンの写真

 

オノーちゃんが今野社長からいただいたLOハードマンの写真がここにあります。この写真は今野産業にいくと今野社長の横の壁にかけられていました。写真の下には「日本にはじめてカプセル自動販売機を紹介、導入した功労者」と書かれていました。この写真はご親族であるフランクパリシさんへ届けたいと思っています。これからフランクパリシさんからLOハードマンのことやアメリカのバルクベンディングの歴史を更に深掘りしていきます。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
ガチャガチャの先駆者の方々のおかげでガチャガチャビジネスは発展してきました。
ガチャガチャビジネスが60周年をむかえガチャガチャビジネスの礎を作った先駆者の方達に感謝し、過去の歴史から学びガチャガチャの未来を作っていければガチャガチャは進化していくとオノーちゃんは思います。

んじゃまた!!!

©日本ガチャガチャ協会

 

 

 

 

 

ABOUT ME
オノーちゃん@ガチャガチャ伝道師
(株)ユージンからもうすぐ30年、ガチャビジネスを生業に 株式会社築地ファクトリー/代表 日本初ガチャガチャのコンサルティング会社設立/日本ガチャガチャ協会設立/ガチャガチャビジネスの歴史をサイトで書いております。ガチャに関するお問い合わせは、小野尾info@japangachagachalab1965.com