1977年にバンダイはガチャガチャビジネスに参入します。
1965年にペニイ商会等が10円機でアメリアのオーク社からマシンを輸入し
ガチャガチャビジネスの地盤を築きはじめていました。
ガチャガチャ・ガチャポンラボ所長のオノーちゃん( @GachaOnoo )です。
バンダイは何故ガチャガチャビジネスをはじめたのでしょうか?
1977年以前のガチャガチャは10円機や20円機が主流で100円機はありました。その当時流行っていたボーリング場などに設置し大人向けの商品を香港から買い付け展開していました。その後日本向けに商品内容もアレンジを加えガチャガチャのマシンもそれまでアメリカ製の無骨な重たいマシーンからプラスチック成形により軽くて性能がよい日本製へと進化していきました。
1965年から1977年の日本の時代背景といえば高度成長期の時代になります。
1964年に東京オリンピックの6年後の1970年には、大阪万博が開催されます。玩具もプラスチックやダイキャストの素材を利用した商品が国内で製造をするようになります。
1970年トミーがトミカを発売される次の年1971年にバンダイの子会社ポピーが設立されます。ポピーはバンダイのキャラクタービジネスの礎をつくった会社です。
「仮面ライダー」変身ベルトからはじまるキャラクター玩具の製造販売をメインに扱い「ポピニカ」「ジャンボマシンダー」「超合金」などのキャラクター玩具を発売し大ヒットさせバンダイの売上げをも抜くまでになります。1983年にはバンダイと合併することになります。
キャラクター事業展開を拡大していくポピーこそがバンダイ「ガシャポン」の原点です。
1976年ポピーの会社案内には品質プレイバリューが高いマスコミ玩具を企画開発し子供だけでなく親の心をも満たすことを信条にかかげ、少数精鋭で社外にマスコミの第一線で活躍するブレーンから消費者指向の動向情報を吸い上げ子供達の声をテレビ番組に反映させる。 バンダイの基礎となるキャラクタービジネスの基本が書かれています。
「ガシャポン」はそんなキャラクタービジネスを更に拡大するメディアマシンとして考えていたに違いありません。「ガシャポン」は当時の子供達がキャラクター商品を身近に購入できる装置でした。駄菓子屋からスーパーマーケットに「ガシャポン」は拡大し子供達はTVキャラクターに一喜一憂してキャラクターが欲しくなり「ガシャポン」を回して商品をゲットしていました。ポピーの会社案内にもある消費者指向の動向情報を吸い上げるリサーチマシンとしても利用していたのかもしれません。大型玩具と違い低コストで作れるので最初に「ガシャポン」からスタートしてリサーチも可能です。
1983年に「キン肉マン」キン消しが大ヒット、このときはまだ「ガシャポン」とは呼んでいなく「ガチャガチャ」「ガチャポン」とはっきりした呼び名がありませんでした。
1977年ガチャビジネスはじめた年は、「エイコン」という名前でした。「エイコン」は「どんぐり」という意味です。カプセルがどんぐりみたいだからでしょう。ガチャビジネスをはじめる時にアメリカのガチャマシンメーカー「オーク社」のマシン「エイコン」を参考にしたのではないでしょうか。
「エイコン」というシリーズが「オーク社」にはあります。1965年のペニイ商会が使っていたマシンが「オーク社」製です。金属製のマシンで故障が多かったのでバンダイは自社でマシン開発したのでしょう。
1985年に「機動戦士ガンダム」 スーパーデフォルメフィギュア SDガンダムが発売され
デフォルメが一般的になります。 1985年バンダイは「ガシャポン」で登録商標を取得
「ガシャポン」というブランドで統一します。
当時子供達だけのガシャポンカルチャーが今や大人まで巻き込み第4次ブームを迎えています。ガシャポンは2500円までの商品を搬出できるまでになり、キャッシュレスマシンも増えてきました。1977年から始まるバンダイガシャポンビジネスも2022年45周年を迎えます。ガチャガチャビジネスの仕組みを作りあげ業界を牽引してきたバンダイが次またどのような展開をしていくのか楽しみです!!!
んじゃまた!!!