中学2年の夏に観たスターウォーズに衝撃を受け、弁当持って映画館に通う日々。当時の映画館は入替がないのでずっと館内でくい入るように映像を観ておりました。
ガチャガチャ・ガチャポンラボ所長のオノーちゃん( @GachaOnoo )です。
商品のマーチャンダイジングが長く続いているスターウォーズの魅力に驚く
アメリカの映画情報の「映画雑誌スクリーン」や「ロードショー」をむぼるように読み、スターウォーズの情報を収集していた若きオノーちゃん。
若いオノーちゃんはアメリカンに憧れ、「いつかアメリカに行きたいなぁ」と思っていました。その当時アメリカはまさに古き良きアメリカがありました。
TVでは、「バイオニックジェミー」、「600万ドルの男」、「チャーリーズエンジェル」が放映されていました。
バイオニックジェミーでは日産フェアレディZをリンゼイワグナーが乗り回す姿にときめいていたあの頃、当然現れたスターウォーズの衝撃は忘れません。
オノーちゃんは、今でも20世紀FOXのフアンファーレがなると鳥肌が立ちます。しかし。ルーカスフィルムがディズニーの傘下になってしまい、20世紀FOXのファンファーレはエピソード7以降無く、非常に寂しい限りです。
日本の玩具販売代理トイメーカーは、一番最初はタカラでした。エピソード1で復活した時は「トミー」でした。そしてエピソード7では「タカラトミー」になります。
アメリカのガルーブ、アプローズ社もハズブロに吸収され現在に至ります。アメリカ玩具業界の栄枯盛衰があるにも関わらず、それにしても映画コンテンツでこれだけ長く商品マーチャンダイジングで成功した例はありません。
Netflix「ボクらを作ったオモチャたち」はスターウォーズの当時の玩具がどのように開発され、玩具メーカーのハズブロに統一されてかれていくのか当時の開発者が語るドキュメンタリー。スターウォーズファンなら、このドキュメンタリーは是非みていただきたいです。
ガチャガチャでスターウォーズが初商品化
『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』は1999年に7月に公開されます。この時の玩具販売元は、前回のタカラから販売元がトミーとなり、当然ガチャガチャはユージンで商品化することになりました。
前回のスターウォーズのキャンペーンはコカコーラで瓶の王冠の裏にスターウォーズのプリントがされてみんなが集め、R2D2のラジオが当たるキャンペーンもやっていました。
エピソード1ではスポンサーがペプシコーラに変わり、ペットボトルフィギュアをベタ漬けキャンペーンでフィギュアブームになります。
今では当たりまでになった「フィギュア」という言葉。このフィギュアという単語もコレクションブームにのって一般化した時期です。
アメトイフィギュアがまだ珍しく渋谷のZAAPとかに行かないと、なかなか手に入らなかったのでボトルキャップフィギャアは衝撃的でした。
スターウォーズのガチャデザインは、フィギュアとミニブリスター
スターウォーズのガチャの商品化にあたっては、公開に合わせて商品化しようという事で、当時のガルーブのマイクロマシンシリーズのフィギュアを流用し、当時流行っていたブリスター仕様にし製作しました。
フィギュアとミニブリスターのデザインが非常にマッチした良い商品でした。その当時は立体物を製作をすることが認められていなかったので、ガルーブの商品を使うことになりました。
このガチャの商品化は、スケジュール的にも当然間に合う事ではなかったのでよかったと思います。ミニブリスターフィギュア映画のヒットともに非常によく売れました。ただし、ビークルは全く売れませんでした。残念!!!
現在、スターウォーズ展が寺田倉庫で開催されていますが、驚いた事に意外と若い人がお客さんに多くいるという事です。
映画は年配者が多く、その当時リアルで映画を観ていた人が多いはずですが、イベントが若者が多いのにはビックリしました。
あるカップルの彼女がダースベーダーを指差して、「この人悪い人だよね」と言うと、彼氏が「もっと悪い奴がいるんだよ」というお喋りを聞いて微笑ましくなりました。
may the force be with you‼︎
んじゃまた!!!