ガチャガチャの歴史において、「ペニイ」と「今野産業」のこの2社は大きな存在です。しかし、もう一人ガチャと言えば、テレビ東京の「モヤモヤさまぁ~ず」で有名になった「バリューマーチャンダイズ」を外す事はできません。
ガチャガチャ歴史に関しては、テレビ用に脚色されてる感は否めません。ただし、同時代のガチャガチャビジネス立ち上げの功労者であります。
ガチャガチャ・ガチャポンラボ所長のオノーちゃん( @GachaOnoo )です。
バリューマーチャンダイズの広瀬社長のガチャビジネスとの出会い
生前の今野社長には広瀬久照さんのお話は聞いていましたが、お会いすることもできずにお亡くなりなられたこと、非常に残念でなりません。
「バリューマーチャンダイズ」は元々は、「日商貿易」という社名で、広瀬社長が創業した会社から始まります。「ペニイ商会」(現ペニイ)が 「パンアメリカン貿易」から「ペニイ商会」にガチャビジネスを開始したように、「日商貿易」を創業し広瀬さんはガチャガチャビジネスを立ち上げます。
今野社長に一度ガチャガチャビジネスは、どのような形で広がっていったのかと聞いたときに今野社長が書いていただいた直筆の図が残っております。
今野社長に書いていただいたガチャガチャの系譜を見ると、もともと「南里貿易」という会社が既にありました。そこから「パンアメリカン貿易」と「日商貿易」に分かれ、ガチャガチャビジネスが開始されるようです。
つまり、「日商貿易」も同時期にガチャガチャビジネスを紹介されていたことは間違いではありません。
「パンアメリカン貿易」は1958年に創立された貿易商社であり、ここから「ペニイ商会」「今野産業」「チャーム商会」「尾浜」等に枝分かれしました。
そこから、ガチャビジネスネットワークが構築されていきます。この流れは現在30社もあるメーカーやオペレーターのガチャネットワークと変わりありません。
今野社長が書いてくれたこの図こそが、ガチャガチャビジネスの始まりのメンバーがここに記されているのです。
オノーちゃんは残念ながら広瀬社長にお会いすることができませんでしたが、昭和ガチャガチャコレクターであるものまね芸人の「レッツゴーよしまさ」さんが奇跡的にお会いして、
広瀬社長とガチャの楽しいお話ができ、広瀬社長から直筆の歴史表をいただいたとのことでした。
その時のいただいた広瀬社長が直筆で書いていただいたガチャ歴史感を清書させていただいたものを抜粋紹介させていただきます。
後の「コスモス」になる「堀口商会」の堀口社長とは交流があったのかどうかきになるところです。当時ガチャマシンのお金を投入するメックの故障が多く、メンテが大変であったので自社でも苦心して改良を試みるがうまくいかなかったようです。
ペニイ創始者の重田隆三さんもアメリカのガチャガチャマシンには苦労したとおっしゃてました。1977年のバンダイのガチャガチャ筐体ができるまで、故障や偽造コインの問題にオペレーターは苦労したと思われます。
広瀬社長に会えなかったこと残念ですが、レッツゴーよしまささんのような若くしてガチャ愛ももっている方とお会いできて嬉しかったと思います。
んじゃまた!!!