ガチャガチャ・ガチャの歴史

ガチャガチャの歴史 「第三世代」1997年~ 大手玩具メーカーバンダイ参入 無版権の駆逐

「第三世代」の1977年は大手玩具メーカーバンダイとコスモスがガチャに参入します。
ガチャガチャ・ガチャポンラボ所長のオノーちゃん( @GachaOnoo )です。

 大手玩具メーカーバンダイ「ガシャポン」参入へ

「ガシャポン」はバンダイの登録商標です。

 

キャラクターコンテンツを軸に玩具ビジネスを展開してきたバンダイにとって
ガチャガチャは子供達にバンダイ玩具を浸透させる為のメディア装置だったに違いありません。
ガチャビジネスを推進をしていたのが変身ベルトや超合金を生み出したポピー社長杉浦氏であり
後にバンダイの社長になられバンダイがキャラクターカンパニーとしての礎をつくりあげ不動のものとしていきます。
1977年は、サーキットの狼がヒットしスーパーカーブームになります。スーパーカーブームにのりスーパーカー消しゴムがガチャガチャで大ヒット

子供達の心に赤いロゴを刷り込んだ「コスモス帝国」の誕生

コスモスのガチャガチャ業界の参入

 

1976年にはコスモスの前身堀口商会を堀口氏が立上げ1977年にコスモスとなり全国の子供達のガチャこころをわしづかみにしてガチャ市場を席捲していきます。
当時ガチャの売上市場の80%を占めるまでになったコスモス帝国の勢いは10年目を迎える前に終焉をむかえることになるのです。

ガチャ王者の「コスモス」陥落した理由とは

コスモス解体の理由

 

ガチャ業界では有名なビックリマンチョコのシール模倣して訴えられたロッチ事件です。
当時お菓子業界でヒットしていたビックリマンシールのパチモンを大量に製造販売しロッテから訴えられ当然敗訴し罰金を支払うことになります。訴訟もそうですが、商品の当たりハズレのクォリテイーがあまりにも酷く売上が下がり、箱型マシンの故障問題も起こったりと勢いが低迷しコスモスは1988年解体にいたります。

コスモス歴戦の記録はワッキー貝山さんの「愛しのインチキ・ガチャガチャ大全ーコスモスのすべてー」に詳しく書かれています。ガチャの歴史が勉強できる「昭和レトロガチャ最強コレクション」も発売中です。

コスモスの壮大な目標

 

コスモスは解体された後もコスモスの遺伝子は残っていて現在も活動中です。
私自身はユウを担当をさせていただいていたので後期の筒状のブルーマシンをたまに路面で見かけると懐かしくなります。

ガチャガチャビジネススキームを作りあげたバンダイ

バンダイマシン

 

コスモスが解体と道をたどる中、大手玩具メーカーであるバンダイは、駄菓子屋から設置場所を玩具メーカーの利点をいかし大手量販店へ進出していきます。日本は百貨店から大手スーパーへの転換期にもあたりエスカレーター横にガチャの設置が開始されます。
日本各地へガシャポンを設置する為の代理店(オペレーター)システムを構築し三ヵ月前に商品受注をするというガチャビジネスの基盤を作りあげます。そしてキャラクターパチモン商品の駆逐を始めライセンス概念をガチャ業界に根付かせることになります。ガチャ業界においてパチモン商品を出すと捕まるという意識が芽生えた時期です。

POPと消しゴム

 

キンケシ金型

 

バンダイは、TVキャラクターが放映される時期と同時期にガチャ商品が発売されるなどガチャを利用したメディア戦略を行いキンケシ、SDガンダム、、 等のガチャからのヒット商品を連発していきます。

ガチャガチャの楽しさ当たりハズレ「夢」を「悪夢」にしてしまったコスモス

赤いゲリラコスモス
1977年に大手バンダイがガチャビジネスに参入したことによりコスモスが無くなるのは自然の流れだったような気がします。コスモスがもし正規ルートで版権も取得し商品もクォリテイー高い商品を出し続けていたら勢力図も少し変わっていたかもしれません。
コスモスのロゴをみて45歳前後の大人達はトキメクはずです。赤くブランディングされたマシンとコスモスロゴから搬出される怪しい商品に騙された記憶が刷り込まれB級文化の香りがするからに違いありません。
次回は

第四世代:1995年~(大人もターゲットの時代へ)●新ガチャマシン展開

んじゃまた!!!

 

ABOUT ME
オノーちゃん@ガチャガチャ伝道師
(株)ユージンからもうすぐ30年、ガチャビジネスを生業に 株式会社築地ファクトリー/代表 日本初ガチャガチャのコンサルティング会社設立/日本ガチャガチャ協会設立/ガチャガチャビジネスの歴史をサイトで書いております。ガチャに関するお問い合わせは、小野尾info@japangachagachalab1965.com