大手玩具メーカーバンダイ「ガシャポン」参入へ
ガチャガチャは子供達にバンダイ玩具を浸透させる為のメディア装置だったに違いありません。
ガチャビジネスを推進をしていたのが変身ベルトや超合金を生み出したポピー社長杉浦氏であり
後にバンダイの社長になられバンダイがキャラクターカンパニーとしての礎をつくりあげ不動のものとしていきます。
子供達の心に赤いロゴを刷り込んだ「コスモス帝国」の誕生
1976年にはコスモスの前身堀口商会を堀口氏が立上げ1977年にコスモスとなり全国の子供達のガチャこころをわしづかみにしてガチャ市場を席捲していきます。
当時ガチャの売上市場の80%を占めるまでになったコスモス帝国の勢いは10年目を迎える前に終焉をむかえることになるのです。
ガチャ王者の「コスモス」陥落した理由とは
ガチャ業界では有名なビックリマンチョコのシール模倣して訴えられたロッチ事件です。
当時お菓子業界でヒットしていたビックリマンシールのパチモンを大量に製造販売しロッテから訴えられ当然敗訴し罰金を支払うことになります。訴訟もそうですが、商品の当たりハズレのクォリテイーがあまりにも酷く売上が下がり、箱型マシンの故障問題も起こったりと勢いが低迷しコスモスは1988年解体にいたります。
コスモス歴戦の記録はワッキー貝山さんの「愛しのインチキ・ガチャガチャ大全ーコスモスのすべてー」に詳しく書かれています。ガチャの歴史が勉強できる「昭和レトロガチャ最強コレクション」も発売中です。
コスモスは解体された後もコスモスの遺伝子は残っていて現在も活動中です。
私自身はユウを担当をさせていただいていたので後期の筒状のブルーマシンをたまに路面で見かけると懐かしくなります。
ガチャガチャビジネススキームを作りあげたバンダイ
コスモスが解体と道をたどる中、大手玩具メーカーであるバンダイは、駄菓子屋から設置場所を玩具メーカーの利点をいかし大手量販店へ進出していきます。日本は百貨店から大手スーパーへの転換期にもあたりエスカレーター横にガチャの設置が開始されます。
日本各地へガシャポンを設置する為の代理店(オペレーター)システムを構築し三ヵ月前に商品受注をするというガチャビジネスの基盤を作りあげます。そしてキャラクターパチモン商品の駆逐を始めライセンス概念をガチャ業界に根付かせることになります。ガチャ業界においてパチモン商品を出すと捕まるという意識が芽生えた時期です。
ガチャガチャの楽しさ当たりハズレ「夢」を「悪夢」にしてしまったコスモス
第四世代:1995年~(大人もターゲットの時代へ)●新ガチャマシン展開
んじゃまた!!!