1888年のトーマス・アダムス氏のアダムス社ガムマシンがNYのプラットホームから設置されてからガラスボール中にガムやピーナッツが入れた仕様に進化していきます。
ガチャガチャマシンの原型であるこの販売の仕方が現在のガチャガチャにつながっていきます。
それでは当たりハズレ的な要素はいつにはじまったのでしょうか?
ガムを売っていただけではなく景品がでてくる仕組みで儲けた人がいました「チューイングガム王」と呼ばれたウィリアム・リグレー氏です。
今回はガムの販売機に景品の概念を持ち込まれ、ガチャガチャの原点でもある何がでてくるかわからない楽しさで一旗揚げたお話です。
ガチャガチャ・ガチャポンラボ所長のオノーちゃん( @GachaOnoo )です。
ウィリアム・リグレーさんという方は、もともと洗剤を販売していました。
ベーキングパウダーにガムの景品をつけて販売したところ、ガムが意外と売れることが
わかりチューイングガム一本で勝負することになります。
リグレーさんは宣伝上手
リグレーさんはコマーシャルにも長けていて、このガムのキャッチコピーが「キスよりも甘い」ガムという事でチューイングガムでビジネスが軌道にのります。
ガムの自動販売機に景品を入れて大ヒット
アダムスさんと同じようにガムを自動販売機でチューイングガムを販売し売上げを拡大していくのです。景品で人が更に購入してもらえる事を知っていたリグレーさんは自動販売機を景品が搬出することができるように改良したのです、ヒットしないわかがありません!
宣伝上手なリグリーさんは、自動販売機にも宣伝コピー
「運をお試しあれ TRY YOUR LUCK」
「1セントを投じよ、さすれば1セント、もしくはそれ以上の物が手に入ります DROP IN CENT AND GET ONE CENTS WORTH OR MORE 」
リグレーさん流石ですね!
リグレーさんは、アメリカだけでなくイギリスにも進出します。日本最初のガムも大正時代にリグレー社のガムでした。リグレーさんは、イギリスでの自動販売機でも売上げを拡大、ガムと言えばリグレー社までになります。
リグレー社のグッズを日本が製造していました
リグレー社の商品を1970年代に日本で制作していたようです。かなりウィットに富んでいたイタズラグッズで引っ張ると指がぱっちんとはさまれるだけでなくクジャクのような装飾が素敵です。
リグレーさんの快進撃はとどまるころを知らずシカゴに「リグレータワー」を建てたり1920年に大リーグのシカゴカブスを買収、カブスの本拠地の野球場には「リグレー・フィールド」という名前で呼ばれています。
何がでてくるかわからないガチャガチャの原点がリグレーさんからはじまったのかはわかりませんが、自動販売機に景品を入れて販売するアイデアは当時の人をワクワクさせたのは間違いありません。今回「自動販売機の文化史」を参考にさせていただきました。
自動販売機からガチャガチャへ進化の変遷の興味はつきることはありません。何がでてくるかわからないワクワクするガチャガチャの原点を探求する旅は続きます。
んじゃまた!!!
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