1988年2月9日に東京・葛飾区の立石本田ビルに新生ユージンとして復活します。
1986年に東日本橋に設立しましたが、うまくいかずクローズしかけがところでトミーの子会社として再スタートします。今回はユージン(現:タカラトミーアーツ)のお話です。
ガチャガチャ・ガチャポンラボ所長のオノーちゃん( @GachaOnoo )です。
オリジナルガチャ「ギョロミーバ」、「モーラ」、「しーこっこ」がヒット商品に
ユージンはキャラクターを取得しているわけではないので、オリジナル商品でガチャ商品を構成していました、キャラクターがついていないのでアイデア勝負で商品化していきました。トミーの子会社ということもあり、ゾイド、ミーバとトミーコンテンツを商品化していきます。
1988年に復活したYUJINが翌年商品を発表します。そのころ、カプセルインフォメーションを新聞風に制作して受注を取っていました。この時の代理店はユージンはいつか無くなると思っていたようです。
「ギョロミーバ」、「モーラ」、「しーこっこ」がヒット商品に
1986年に一度クローズしかけたので当たり前ですが、信用されておりませんでした。自社マシンも保有しておらず、ガチャガチャ業界の新参物として登場します。
その環境の中、売上に貢献していたのが、「ギョロミーバ」、「モーラ」、「しーこっこ」で毎年定番アイテムとしてそのあとも継続されていきます。
サンエックスのエスパークスのガチャが誕生。フル彩色で勝負にでたユージン
そんなコンテンツを持っていないユージンがサンエックスから許諾をいただき商品化したのがエスパークスです。サンエックスさんは今やリラックマ、すみっこぐらしでファンシーキャラクター文具メーカーのイメージが強いですが、昔はエスパースのような男児ネタコンテンツを仕掛けていたのです。
ガチャガチャはこの時代、フィギュアは無彩色でした。というか、フィギュアという言葉もなく、キン消しのような消えない消ゴム打ちっぱなし商品で塩ビ人形と呼ばれていました。
エスパースクスは塩ビ人形フル彩色2体で100円で発売します。なんと言う心意気というか無謀です。しかしこのフル彩色の魂が中国工場のクォリティーをあげて、ディズニーフィギュアコレクションに繋がっていくのです。
んじゃまた!!!