今回は、現在の一体型ガチャガチャマシンを世界のスタンダードにしたガチャガチャを愛する人達のお話です。
前回お話した1988年潰れかけたYUJIN(現:タカラトミーアーツ)を救済してくれた、トミーに感謝しきれません。このとき、YUJINを残さなかったら現在のガチャガチャはここまでの市場にはならなかったのです。
ガチャガチャ・ガチャポンラボ所長のオノーちゃん( @GachaOnoo )です。
YUJIN(ユージン)名前の由来を知ってますか?
ユージンのYUは遊ぶで、その当時グループ会社が数社ありました。全て会社の頭にはYOUがついていました。
親会社であるトミーのグループ会社としてスタートしたユージン。本社商品との差別化しなくてはならず、そうなると商品化できるものが当然小物トイに限定される訳です。
本社の玩具を小さくしたもので、売り場は、「キオスク」 「ファミレス」のレジ回り等に置かれ「フックトイ」 「ラックトイ」と呼ばれていました。
そしてガチャガチャは小物玩具や玩具菓子の中身と共通してカプセルに入れて販売し始めます。この当時は、今野産業のマシンを改造して、まだトミーブランドで販売した時代です。
なので、ガチャガチャはユージン社内ではメイン扱いではなかったのです。
幽遊白書のガチャガチャが大ヒット。ガチャガチャマシンの開発に乗り出す
メイン扱いされていなかったガチャガチャが、トミーがージャンプの幽遊白書の提供に参画したので、ガチャ商品を発売したら大ヒットを飛ばします。
いままでコンテンツをやっていなかったので、こんなにもキャラクターで売れるとは思いもしません。
まずはアミューズメント課がUFOキャッチャーブームの追い風に乗り、売上が増加してようやく利益がでるようになります。
アミューズメント事業部では、自販機課で2人、アミューズ課で2人 ユージン全体でも18人体制になりました。思い起こせば、ユージンは夢工場等ゲームセンターも経営してました。
ガチャガチャビジネスがインフラビジネスとわかりはじめてから、UFOキャッチャーで得た余った利益でガチャガチャマシンを開発したほうがいいのではないかという意見が上がりました。
そこで、ガチャガチャマシンのたくさんの案が出され、今の形状のガチャガチャマシンでいこうということになりました。1993年から1994年にガチャマシンを開発開始し1995年にデビューします。
ユージンに奇跡のブレーク。ガチャマシンに呼ばれて集まったメンバーたち
そして、このガチャガチャマシンが、ユージンに奇跡を呼び起こします。ガチャマシン発売前に集めらたメンバーによって、ガチャ=ユージンの地位を築いて行くのです。
この5人のメンバーで自販機課ではなくベンダー事業部として新ガチャマシン「スリムボーイ」を武器に本格的ガチャビジネスに挑んでいきます。
つづく… んじゃまた!!!