ガチャガチャの商品を入れるガチャガチャの筐体。何気なく見ていますが、このガチャガチャの筐体の数はどのくらいあるのでしょうか?
日本ガチャガチャ協会のオノーちゃん( @GachaOnoo )です。
ガチャガチャマシンを保有する会社は、バンダイとタカラトミーアーツの2社!!
現在 ガチャガチャマシーンは全国に50万台以上あると言われています。よく見かけるガチャガチャマシンの設置個所は50000店舗に拡大しています!
ガチャガチャのマシーンメーカーは現在では、大手玩具メーカーのバンダイとタカラトミーアーツの2社
バンダイとタカラトミーアーツの2社が誰もが一度は見たことがあるガチャガチャマシンを製造しているんです。日本によく街中で見かけるガチャガチャマシーンのタイプは、ほぼこの2社独占状態です。
ちなみに、以前からある赤いガチャガチャマシーンをまだ見かけることがありますが、こちらは、ガチャガチャ業界の老舗である今野産業が製造販売しています。
かつてコスモスという伝説のガチャガチャメーカーがバンダイと同時期に設立されましたが、残念ながら倒産!!しかし、コスモスの魂は受け継がれ、コスモスブランドを継承し、現在も運営中、熱いコスモスファンに支えられているんですよ。
バンダイがガチャガチャに参入したのが1977年。はじまりはウルトラマン!
バンダイは、1977年からウルトラマンヒーローシリーズで最初から100円でガチャガチャビジネスに参入していき、当時の設置台数は5485台でした。
そして、1983年のキン肉マン消しゴム(通称:キンケシ)の大ヒットにより市場を拡大していきます。
マシーンの台数と共に売上も倍増していくバンダイ。1989年(平成元年)ドラゴンボールが大ヒットしていた時にはマシンの台数は、90000台を超えてしまった!
面白いことに、シルバニアファミリーのエポックも、かつてはガチャマシンを開発販売していたのですが、知ってる人、手を挙げてくださいwww
知っている人は、かなりのガチャガチャマニアですよ。このエポックが製造していたガチャガチャのマシンは、バンダイのパテントを侵害したということでマシンを一斉撤去されてしまいました。
ちなみに、カプセルトイの商標に関しては、バンダイがガシャポン タカラトミーアーツは、ガチャですよ。
1995年11月に一体型ガチャガチャマシン「スリムボーイ」が発売!
- 1988年にユージン(現:タカラトミーアーツ)がガチャガチャビジネスに参入。
- ガチャマシンにスリムボーイという名前を付け、ガチャブランドを戦略開始。
バンダイからガチャビジネスに1977年に参入してから約10年後、1988年からユージン(現:タカラトミーアーツ)がガチャビジネスに着手しました!!
ユージンはトミーの100%子会社で、その時販売していたものは、玩具菓子、小物玩具等のトミーとカニバルことのない領域をメイン商材としていた会社でした。とくにガチャビジネスがメインというわけではなかったのです。
ガチャ以外に利益を出すことができず、ガチャに傾倒していきました。そして、1995年にユージンが創設したときからの利益をすべてこの新規ガチャマシンに投入。完成したのがスリムボーイという2ボックス一体型のマシンだったのです!!。
また、スリムボーイというガチャガチャのマシンに名前を付けるなどガチャブランド化の先駆けでもあったのですよ。
オノーちゃん入社時スリムボーイ発表前夜画像
スリムボーイの拡販要因は、ディズニーとポケモンだった!
ユージンは満を持して1995年11月にスリムボーイは発売し年内20000台が目標でした。
しかし・・・・すでにガチャガチャのマシンを保有している代理店は見向きもしてくれない状況であったのです(泣)
今、振り返ってみますと、この時期は、ほぼ子供メインのガチャガチャビジネスだったので、スリムボーイというマシンの魅力を感じなかったのかもしれませんね。
- ユージンがディズニーコンテンツを取得できたことで風向きが変わり、「ディズニーフィギュアコレクション」が爆発的に人気になったと同時にスリムボーイも拡大。
- ポケモンブームでさらにスリムボーイが大きく展開していくことになる。
しかし、このスリムボーイのおかげで、ディズニーコンテンツを取得できたことにより風向きが一気に変わっていきます。
スリムボーイと同時期に発売される「ディズニーフィギュアコレクション」が爆発的に売れ始め、人気ガチャガチャに!!
しかも予想も反して、子供とお母さんにも受け入れられ、そしてちょうど日本にフィギュアのブームが到来していきます。
この時が、大人ガチャへの販売が拡大していくきっかけとなりました!その後、ポケモンブームもあり、大人から子供もガチャガチャをまわしてくれるようになり、スリムボーイが拡大していきました。
ユージンが製造した2ボックス一体型のスリムボーイのおかげで、日陰に置かれていたガチャガチャの筐体が、メインな場所に置かれていったのは凄い事実です。
まさに売れていなかった芸人が人気が出て、ひな壇でトークできるポジションを獲得するかのように、スリムボーイというガチャガチャのマシンはガチャガチャの歴史に大きく変えたことは事実です。
確かにコンテンツのおかげもありますが、この時期から大人ガチャのベースが出来上がっていいきます。
そしてこの流れはジャンプの読者層が男性から女性へとシフトしていく時期でもあったのです。この時のジャンプコンテンツは幽遊白書 スラムダンク・・・。この話はまた今度!
んじゃまた!!!