第二世代1970年から始まるロケーションが乱立するこの時期がガチャガチャの無法地帯でした。なんでもありの世界で、この世代に子供であったわたくしは10円時代のガチャガチャに勉強させてもらいました。同じ年であるさくらももこさんのちびまる子ちゃんで西城秀樹のスーパーボールがガチャガチャから何回やってもでてこない話は忘れられません。
なにができてくるかわからないガチャガチャは人生を勉強させてくれますね。
ガチャガチャ・ガチャポンラボ所長のオノーちゃん( @GachaOnoo )です。
ガチャガチャロケーション乱立期の幕開け
1970年代には、ガチャビジネスを目指すメーカーや代理店が多く参入してきます。関西からもガチャ参入の声が聞こえてきて関東圏をせめてくるのではという雰囲気がの中重田龍三氏が1970年に西日本ペニイを設立します。
1966年にアサヒグラフにガチャビジネスが紹介されてから売上が伸びるに従い関西圏でもガチャカンパニーが設立されていきます。
榎並産業、尾浜、等々 1972年から関西地区を拠点にガチャ設置を拡大します。
関東は、今野産業が1971年にオペレーター会社VISTAを設立。チャーム商会 共同等々が設立。 そして ガチャ問屋の大手であるビームが大阪から参入します。
ガチャカンパニーが1970年初期に多く設立しますが創業当時は自動車ではなく自電車でガチャ設置補充したしていたようです。大変な中売れるロケーションをいかにみつけ設置するかが売上にかかわることであったので設置店の取り合いであったに違いありません。
ガチャガチャ商品はカオスなパチモン天国
この時期は、版権という概念があまりなかったのでパチモン商品が多く商品化されました。
テレビがメディア媒体として最強な時代に子供達はテレビアニメやら流行りものを追いかけ
ます。グッズが欲しくなるのはあたりまでその物欲をみたしたのがガチャガチャです。
玩具を購入するにはクリスマス 誕生日を待つしかない中自分のお小遣いで欲しい商品を買えるガチャガチャは夢のようなマシンであったに違いありません。お目当ての商品はまずでませんが、
駄菓子屋からロケーションがボーリング場になり大人向けに展開したり、ヒーロー実写テレビが流行ったりすればヒーロー立像ガチャが登場したりしました。
ガチャガチャは子供達のメディア
ガチャガチャは子供達にとってテレビと同じメディアであったに違いありません、それも大人達嫌いなB級文化を好む子供達は大人達が知らないものこそお宝だったのです。
ガチャガチャは子供達の欲求を満足させる魔法箱だった。
現在のガチャを回している大人達を子供達はどう思っているのでしょうか?
んじゃまた!!!
次回は、1977年(大手玩具メーカーバンダイの参入とコスモスの参入●無版権の駆逐期